前回の記事では、民事裁判の基本ルールである「弁論主義(当事者が主張しないと裁判所は判断しない)」について解説しました。
しかし、ただ闇雲に「あいつが悪い!」と主張すれば勝てるわけではありません。
裁判に勝つためには、法律が定める**「特定の事実(要件事実)」**を主張し、かつ、それが真実であると裁判官に信じさせなければなりません(立証)。
では、もし証拠が足りず、裁判官が「どっちの言い分が正しいか分からない(真偽不明)」となった場合、どうなるのでしょうか?
答えは、証明できない事実は無かったものとして扱われます。
今回は、民事裁判の裏にある厳しいルール、**「要件事実」と「立証責任」**について解説します。
1. 裁判における「ゴール」の設定:要件事実とは?
弁論主義では「事実を主張しなければならない」とお伝えしましたが、ここで言う「事実」とは、何でも良いわけではありません。
「相手は性格が悪い」「昔から嘘つきだ」といった事情は、裁判の結論に直接関係しません。
裁判で勝つためには、法律的な効果(お金を返せ、土地を明け渡せ等)を発生させるために不可欠な、特定の事実が必要です。
これを専門用語で**「要件事実(ようけんじじつ)」または「主要事実」**と呼びます。
料理のレシピに例えると
要件事実は、料理の「必須材料(レシピ)」に似ています。 例えば、「貸金返還請求(貸した金を返せ)」という判決(料理)を作るためには、以下の材料(事実)が絶対に必要です。
- 金銭消費貸借契約の合意(「貸す」「返す」という約束をしたこと)
- 金銭の交付(実際にお金を渡したこと)
- 弁済期の到来(返す約束の日が過ぎたこと)
この3つの事実あったが認定できて初めて、裁判官は「お金を返せ」という命令を出せます。
もし、原告が「お金を渡した」ことばかり詳しく主張しても、「いつ返す約束だったか(弁済期)」を主張・立証し忘れると、レシピが完成せず、**請求は棄却(敗訴)**されてしまいます。
弁護士は、相談を受けるとまず頭の中でこの「要件事実」のパズルを組み立て、足りない材料(証拠)がないかを確認しているのです。
2. 裁判官が迷ったらどうする?:立証責任(証明責任)
要件事実を主張し、それに対応する証拠を出したとします。しかし、相手も反論し、別の証拠を出してきました。 裁判官が双方の話を聞き、証拠を見ても、**「どちらの言い分が真実か、確信が持てない(真偽不明)」**という状態になることがあります。
この時、裁判所は「分からないから判決を下せません」とは言えません。
必ず白黒をつける必要があります。
そこで登場するのが**「立証責任(証明責任)」**というルールです。
「真偽不明」のリスクを負うのは誰か
立証責任とは、**「ある事実が真実かどうかが分からなかった場合、その事実は『なかったこと』として扱われ、その結果として敗訴するリスク」**のことです。
一般的に、**「権利を主張する側」**が、その権利を発生させるための要件事実について立証責任を負います。
- 例:お金を貸した裁判の場合 「お金を渡した」という事実について、契約書もなく、目撃者もおらず、銀行記録もない場合。 裁判官が「渡したかもしれないし、渡してないかもしれない」と迷ったら、「貸した」と主張する原告(貸主)の負けとなります。
守る側(被告)の立証責任
逆に、借主(被告)が「借りたことは認めるが、もう返した(弁済)」と主張する場合、「返した」という事実の立証責任は被告が負います。 もし、領収書がなく「返したかどうか真偽不明」になれば、「返していない」と扱われ、被告の負けとなります。
このように、民事裁判では**「証明できなければ、事実として認められない(=負ける)」**という非常にシビアな構造になっています。
【主張立証構造の例】

3. 実務における弁護士の役割
ここまで解説した「弁論主義」「要件事実」「立証責任」は、三位一体となって裁判の枠組みを作っています。
- 要件事実: 法律効果を発生させるために「何の事実」が必要かを特定する(地図を描く)。
- 弁論主義: その事実をもれなく主張し、証拠を提出する(材料を集める)。
- 立証責任: 証拠が不十分だと負けてしまうため、確実な立証活動を行う(リスク管理)。
私たち弁護士は、依頼者の話を聞く際、単にストーリーを追っているわけではありません。 **「このケースでの要件事実は何か?」を瞬時に判断し、「立証責任の所在(どちらが証明義務を負うか)」を分析した上で、「真偽不明に陥らないための決定的な証拠は何か」**を探しています。
「たぶん大丈夫」は通用しない
「自分は正しいのだから、裁判官も分かってくれるはずだ」 そう思って本人訴訟を行い、要件事実の主張漏れや、立証責任の理解不足によって、本来勝てるはずの裁判で負けてしまうケースは後を絶ちません。
ご自身の権利を正当に守るためにも、裁判や交渉が必要になった際は、早い段階で法律の専門家である弁護士に相談することをおすすめします。
主要紛争類型の要件事実一覧(保存版)
| 紛争のタイプ | 勝つための必須条件(要件事実)とポイント |
| 1. お金の貸し借り (貸金返還請求) | ① 金銭消費貸借契約の締結(貸し借りの合意) ② 金銭の交付(実際に渡したこと) ③ 弁済期の到来(期限が過ぎたこと) 【ここがポイント】 借用書がない場合、②の「渡した証拠(振込履歴)」はあっても、①の「返す約束」の立証が難しく、「もらったものだ(贈与)」と反論されるケースが多いです。 |
| 2. 売買代金の未払い (売買代金請求) | ① 売買契約の締結(何をいくらで売るか) (+支払期限の到来) 【ここがポイント】 法的には「商品を渡したこと」は請求の条件ではありませんが、実務上は「渡していないのに金は取れない(同時履行)」と反論されるため、納品書等で引渡しを証明する準備が不可欠です。 |
| 3. 家賃滞納・立ち退き (賃貸借契約解除・明渡) | ① 賃貸借契約の締結 ② 物件の引渡し(鍵を渡して入居させた) ③ 催告と解除の意思表示(督促して解約した) ④ 解除時までの賃料不払い 【ここがポイント】 単なる滞納だけでなく、「信頼関係が破壊された」と言える程度の滞納期間(一般的に3ヶ月以上など)が必要です。 |
| 4. 交通事故・不倫等 (不法行為の損害賠償) | ① 加害行為(権利侵害行為) ② 故意または過失(わざと、不注意) ③ 損害の発生と数額(いくら損したか) ④ 因果関係(行為と損害のつながり) 【ここがポイント】 契約関係がないため、「過失」の証明ハードルが高いです。また、損害額の根拠(領収書や相場)を緻密に出す必要があります。 |
| 5. 不動産の不法占拠 (所有権に基づく明渡) | ① 原告の所有(自分が所有者であること) ② 被告の占有(相手が現在使っていること) 【ここがポイント】 非常にシンプルですが、相手が「賃借権がある」「時効取得した」と反論してきた場合、再反論の難易度が上がります。 |



